ジルベール・ロジェによれば、トランスはトランスで音楽は音楽であり、そのどち らか一方がもう一方を引き起こすのを証明するのは不可能で、唯一言えるのは、音楽 は時々トランス状態を伴うことがあるが、それと同じくらいそうでないこともあると いうことです。 まぁ、確かにそうなのでしょう(笑)。そう考えると、倍音が複数重なりあった際 に聞こえてくる不思議な音が、いつでも誰にでも聞こえるわけではないということの 説明の一つとして納得がいきます。 一方、クイーンズ大学のジョン・ブラッキング(民族音楽学者(英))は「変容と 人間がリズミカルに並べた音との間に関連性があるという推測を疑問視しない」と 言っています。そして、こうも言ってます「真に知るには実際に演奏することだ」 と。 百聞は一見にしかず、そう言ってしまうとみも蓋もありませんが(笑)、「真に知 るには実際に演奏することだ」まさしくその通りなのでしょう。 例えば、あなたが「ハンドドラム(Tar)」について説明を求められた時にどうやっ て説明するでしょう? 「中東起源の片面太鼓でして、丸い木枠の片面に皮が張ってあるシンプルなものなん ですけど、スティックやマレットを使わずに手、指先だけで色んな音色やリズムを表 現します。えっと、叩く位置によって音色が異なって・・・」と一つ一つ説明するし かありません。全部の情報を一括で伝える手段を持っていないのです。 てっとり早いのは「これです」と実物を見せて、演奏を聴かせることです(笑)。 倍音の魅力や、不思議な音についても、体験が一番なのですが、「真に知るには実 際に演奏することだ」と言ってしまうとそれでこの連載が終わってしまうので (笑)、倍音の森に分け入っていく紫龍の冒険旅行「Ancient future」を進めていく こととします。 ドラムを叩きたいという欲求というのはとても自然なものなんだ、と最近思うこと があります。 ハンドドラムを知るまでは、あまり意識しなかったことです。 何故でしょう? ドラムに対するイメージが、ドラム=ドラムセットだったからだと思います。ロッ クやジャズでバンドの後ろにセットを構え、両手両足を器用にそしてパワフルに操 り、自在にリズムを繰り出す。難しそうというイメージとものすごい体力が必要そう というイメージが、自分がドラムを叩くということを想像させなかった原因だと思い ます。 でも、音楽を聴くときには、手でひざを叩いていたりして・・・。 子供が昨年生まれ、やっと一歳になったばかりなのですが、つかまり立ちができる ようになったころから(その時まだ歩けないのですが)ローテーブルを叩きなが踊っ て唄うようになったのです。しかも、もの凄く楽しそうに!! 叩くといっても正確なリズムを刻むわけではありません、踊るといっても縦揺れと きどき横揺れって感じだし、唄うといっても鼻歌のような声で「あーあーあー、 うー」みたいな感じ(笑)。 でもその姿を見て、叩く、踊る、唄うというのは生来の欲求で、それをすることは 喜びなんだなぁと思いました。 紫龍はこの三つ(唄う、叩く、踊る)をあわせてヴォイス・リズモーション( voice rythmotion=voice+rythm+motion)と呼んでますが、中身そのものは生来 の欲求である以上、決して新しいものではありません。 西アフリカのミニアンカ族がダーバと呼ばれる柄の短い鍬を使って畑仕事をすると き、そのかたわらではドラマー達がダーバの動きに完璧に合うリズムを叩いているそ うです。種蒔きや精霊を崇拝する助けとなる特別なリズムもあるそうです。当然リズ ムの中には言葉がついて歌となるものもあり、その歌が特定の身体の動きを触発して 踊りが生まれます。 一見ばらばらに思える、これらの行為は、よくよく考えるとハンドドラム(TAR) を奏でる行為そのものの中にもあることに気づきます。 ハンドドラムを奏でるためには様々なモーションがあります。そしてそのモーショ ンを活用してリズムを作ります。そして出てくる倍音が重なり合うと不思議な音(声 や歌など)が聞こえてきます。 vol.11でハンドドラム(TAR)はインターフェースは単純で分かりやすい、透明性 が高い楽器、つまり楽しい楽器だという話をしましたが、ハンドドラム(TAR)を奏 でることはそれ自体が生来の欲求であるヴォイス・リズモーションを満たしている (この場合唄ってるのは自分でなくハンドドラム(TAR)ですが(笑))、これもハ ンドドラム(TAR)が楽しい理由のひとつだと思います。 続きは次回。
(10/20/2004)